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2020.03.18 フィリピンのライフスタイル

昔流行ったフィリピンパブ

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昔流行ったフィリピンパブ

今や懐かしフィリピンパブブーム

今から15〜25年ほど前に「フィリピンパブブーム」が席巻したのを知っていますか?知っているのはおそらく30代以上の人が多いのではないでしょうか。日本に留学しているフィリピン人学生も10代20代の人たちはあまり「フィリピンパブブーム」を知らないくらいですから。そう、世代ではっきり分かれるこの認識こそ、一大ブームを物語るものなのかもしれません。

フィリピンパブの登場から約30年。今やその数は全盛期の10分の1。フィリピンパブブームとはいったいなんだんたのか。そしてなぜ流行って廃れたのかを、今回はご紹介したいと思います。

フィリピンパブってなんで流行ったの?

遊びに行ったことはなくても一度は耳にしたことのある「フィリピンパブ」。その最盛期は2004年でした。この年、なんと8万2714人ものフィリピン人が興行ビザで日本に来ています。
そしてこのフィリピンパブにこぞって押し寄せたのが50〜60代の男性。特に中小企業の社長や地元の商店経営者など、金銭的にそれなりに余裕があるオジサンたちの夜の社交場となったのです。常連の人たちが口々に言うには「フィリピンパブは安いし(キャバクラの半額程度)、歳がいっててもモテる」のが良かったみたいですね。モテるといっても、そういう風に思わせてくれるくらい気持ちよく接客してくれるということ。商売だということを忘れさせてくれるくらいフレンドリーで、いくら年齢が離れていても愛想よく接してくれるんですね。一度経験してみれば、日本人のキャバクラ嬢はビジネスライクで気を使ってしまうようです。

とはいえ、フィリピンパブで働く彼女たちは、建前上は興行ビザでタレントや歌手、ダンサーなどのエンターテイナーとして入国しています。どんな人たちが多かったかというと、貧困層出身の若い女性たち。歌やダンスができれば日本で働けるということで、いっせいに日本を目指しました。それを当時は、ジャパンに行く人=「じゃぱゆきさん」と呼びました。そうした現象がメディアでも取り上げられ、「フィリピン人といえばフィリピンパブ」というイメージが確立されていったのです。

フィリピンパブブームの誕生

昔流行ったフィリピンパブ

40年以上前は、グアムやハワイと同じくらい人気の観光地だったフィリピンですが、80年代になると外国人観光客は激減しました。その理由は、1982年にマルコス政権が戒厳令を敷いたこと。「フィリピンは危険な国」と敬遠されるようになったのです。もう一つは、横行していたフィリピンやタイへの買春ツアーに、国内外で批判が高まったからです。(当たり前ですよね…)
しかし、そこで困ったのがフィリピン国内のエンターテイナー業界。このままジリ貧で活動するよりも、若い女性のエンターテイナーを日本に送ろうという動きが生まれました。
さらに1982年にフィリピン政府は、国民が海外で就労することを奨励する「海外雇用庁」を設置しました。こうして官民が手を組むようにして出稼ぎ労働の動きを加速させていきました。ここに先ほど触れた「じゃぱゆきさん」が誕生するのです。同時に日本ではフィリピン人女性がどんどん人気になり、需要は拡大。フィリピン人の「日本で働きたい!」と日本人の「フィリピン人っていいじゃん!」が見事にマッチしたのです。

本来、歌手やダンサーなどだけに認められる興行ビザですが、認定要件が曖昧だったため、フィリピンで歌やダンスの練習を少ししてきただけの人たちも多くいました。しかしそれでも日本ではフィリピン人女性は大人気。全盛期には、フィリピン全土で日本側のブローカーがオーディションを開催し、歌やダンスの技術はそっちのけ、見た目を基準に選抜し、日本へと送り込んでいきました。北は北海道、南は沖縄まで、フィリピンパブのない歓楽街はないと言ってもいいほど爆発的に人気だったのです。

フィリピンパブの衰退

昔流行ったフィリピンパブ

これほどまでに愛されていたフィリピンパブなのに、なぜ廃れていったのでしょう。それには一つのきっかけがあります。フィリピンパブ全盛期の2004年、アメリカ国務省による「人身売買報告書」で、日本が監視対象国に指定されたのです。興行ビザで入国している外国人女性は「性的搾取による人員売買」であり、日本は「被害者である外国人女性を全く保護していない」と非難を浴びました。残念なことですが、実際に買春行為を強要する一部の悪質なプロモーターがいたことも事実。このアメリカによる批判に対して、日本は興行ビザの運用を厳格化しました。というのも日本には当時、安全保障理事会入りを目指す、という外交的な駆け引きがあったのです。
この決定にフィリピンパブは大打撃。興行ビザの厳格化から2年後の2006年には興行ビザの発給件数はおよそ10%まで減少し、多くのフィリピンパブは廃業に追いやられました。

では、今フィリピンパブで働いている人たちはどんな人かというと、ほとんどが日本人男性と結婚して滞在許可を持っている女性(奥さまですね)、もしくは親族訪問ビザというビザで来て、しれっと不法滞在している人たちです。残り少なくなったフィリピンパブで働くホステスはそうした人たちですから、30代後半や40代など以前と比べるとずいぶん高齢化しているのが現状です。

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